【野口裕之の軍事情勢】「自衛官のリスク」を仮想する政治の偽善

野口裕之の軍事情勢】「自衛官のリスク」を仮想する政治の偽善
2015.6.1 06:00
http://www.sankeibiz.jp/express/news/150601/exa1506010600001-n1.htm

安全保障関連法案をめぐる国会審議は、国家主権や国民の守護など国益に必要か否かより「自衛官のリスク」が先行する。 法案潰しを狙い自衛官の命を気遣う偽善はミエミエ。いっそノーベル賞作家・大江某のごとく、防衛大学校生は「現代青年の恥辱」と表現してくれれば「前時代 の輩」で片付くが、今の左翼は中庸を装うので始末が悪い。しかも、激烈な火力と対峙する自衛官に、警察官と同じ武器使用基準を強要する隠れ左翼ほど「自衛 官のリスク」を叫ぶ。大きなお世話だ。
 自衛官の命を気遣うフリをする勢力は、集団的自衛権の限定的行使を可能にせんとする政府に「憲法改 正が筋」と説教を垂れる勢力とも重なる。本心では自衛官の命などどうでもよく、改憲も嫌がる反動分子なのだ。欠陥憲法・法制で縛られる自衛官は命の危険を 克服すべく、限りなく100%に近いリスク回避を求め作戦を練る。それでも、東日本大震災(2011年)では被曝覚悟の《鶴市作戦》を用意した。民主党政 権はリスクを正視する自衛官の決心に心打たれるでもなく、自衛隊など諸組織を前に高圧・感情的な指揮・統率モドキを露呈する。無能・無策でリスクを広げた 民主党が「自衛隊のリスクは飛躍的に高まる」と連呼する無様は滑稽である。
 「即動必遂」で任務完遂
 連 呼の矛先は、現行法で自衛隊の活動期間中、戦闘が行われぬ見通しがなくば認められていない他国軍への後方支援を→現に戦闘が行われている現場以外なら実施 可能にする-など、新法案の“前提緩和”部分に向かう。民主党は現行法がうたう「非戦闘地域」の存在を信じてきたことになる。驚いた。飛び道具が進化する 現代戦で戦況を予言できるのか? 過去積み上げた理屈は、国際と日本の間を分断する憲法の壁と、壁を頑迷なまでに護る左翼に手を焼き、一歩でも日本と国際 の常識を近付け、自衛隊の活動と国益を結び付けようと、自民党や関係者が「みっともない」と承知でひねり出してきたデキの悪い言い訳であった。
  みっともなさとデキの悪さで、民主党自民党のはるか上を行く。とりわけ大震災時の民主党政権首相・菅直人(かん・なおと)氏(68)は“不世出”。原子 力発電所放射能漏洩に際し「決死の覚悟」だと大見えを切ったものの、福島県産野菜を食べる安全PRと関係者を怒鳴り散らす妨害行為の他、国民が存在を認 識できなかった自衛隊最高指揮官だった。しかし、最低の最高指揮官の下でさえ自衛隊は即応し任務を成し遂げた。当時の陸上幕僚長、火箱芳文・退役陸将 (64)が部隊訓示で使った造語を借りれば「即動必遂」という四文字に総括される。火箱氏の近著の題名でもある。火箱氏は小欄に「素人が書いた本…」とは にかむが「決死の覚悟」とは何かを教えられた。特に《鶴市作戦》は凄まじい。

犠牲覚悟の「鶴市作戦」
 ヘリ コプターを原子炉上空にホバリングさせ、ホウ酸を詰めた容器をゆっくりと降ろし→まき→中性子を吸収し→再臨界を食い止める作戦だった。最悪の場合、自衛 官が被曝覚悟で降りるため、自衛官の犠牲も現実味を帯びていた。《鶴市》は治水に当たり、鶴・市太郎母子が人柱となり、人々を水害より救ったとする大分県 内の神社に伝わる故事にちなむ。幼き日、遠足で神社を訪れた火箱氏が会議で話し、命名に至る。
 ただ、自衛隊の作戦は原則「全員生還」を目 指す。従って他官庁のごとく「Aの成功後にBに着手。めでたし目出度し」とはならない。「Aが失敗したらB。それも失敗したらC…」と、幾層もの悲観的状 況を想定→得心行くまで対策を準備する。“勇敢なる臆病者”に徹するのだが、鶴市作戦は選択肢が極端に狭かったに違いない。
 政治家は“勇 敢なる臆病者”の優しさと苦悩にも思いをはせてほしい。旧知のI一等陸佐は2005年のイラク派遣を前に《遺言》を書く。《遺書》ではない。I氏の妻に言 わせると、遺書とは確実な死が前提だという。《君たちが読む頃、私はこの世にはいない》の書き出しは、こんなふうに続く。
自閉症の長男は一人だけでは生きられないと思うので、周りの人たちと仲良く生きていくように。長女には国の役に立てる仕事を選ぶように…》
 自衛隊員は「危険を顧みず」と宣誓し、政治がバカでも命令あらば危険地帯で任務を完遂する覚悟をとっくに決めている。
 イラク派遣隊員の子の涙
 ところで、野党政治家の多くは軍事行動分野でのみ「自衛官のリスク」を懸念するが、災害出動中のリスクに関心が薄い。自衛隊の軍事行動封印を目的に、安全保障を政局に絡める禁じ手なのだから宜なるかな。
  東日本大震災では、住民の避難誘導をやり遂げた自衛官津波にのみ込まれた。過労死やストレスで自死した方もおられる。最後の砦・自衛隊に出動が命じられ る災害現場は苛烈を極める。ところが、現役幹部(将校)への勲章制度はない。兵・下士官は名誉の殉職などを除き、生涯受勲できぬ。
ド素人の政治家がこねくり回す「リスク逓減策」に自衛官は不安を抱く。対策は自衛官に任せ、勲章制度の無礼を正せば自 衛隊の士気は一層上がる。そも政治家に指摘されずとも、自衛官にリスクが伴う現実を子供ですら知っている。イラクに赴いた親しきT一等陸佐は派遣前の04 年、小学3年生の長男と幼稚園の次男を正座させ諭した。
 「イラクで困っている人を助けに行く。火事場に行く消防士さんと同じ。お母さんを助け、しっかり家を守りなさい」
  不安を口にする留守家族ばかり紹介するメディア報道に接し、イラクが危険だと感じ取っていた次男は大泣きしたが、長男は気丈にも唇を噛み締めた。が、帰国 したT氏と防衛庁(当時)内で半年ぶりに面会し、号泣したのは長男の方であった。「お父さん、ボク、本当に大変だったんだから…」と言うや、T氏の胸に飛 び込んだ。
 長男は父の教えを守り抜き、弟を悲しませまいと、寂しさと不安で押し潰されそうになる心のリスクと闘った。一方、精神的にも物 理的にも、安全保障上のリスクと直接闘(戦)わぬ野党政治家が仮想する「リスク逓減」は政治の道具に過ぎず、主張を入れればむしろ作戦・活動の柔軟性を奪 う。政治家は自身が発する浅知恵が生む自衛官のリスクを自覚していない。(政治部専門委員 野口裕之(のぐち・ひろゆき)/SANKEI EXPRESS)