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拉致5人の被害者、帰国10年(1)帰国直後の告白「日本に残りたい」

戦争犯罪が国会で質問される運びを見て、拉致は北朝鮮が仕掛けた国家の犯罪である。

この犯罪を許すようでは、日本国の道義も、地に落ちていると知るべきである。

小泉内閣のときに5人の拉致被害者が、帰国の運びとなった。

 

日本の政治家も、日本外務省もこの被害者を返すべきと考えていたと言うから、

全く仰天の次第である。彼らは国家というもの、それに、被害者の人権と言うものを

どのように考えていたのかと、疑う次第である。

 


【再び、拉致を追う】
第3部 5人の被害者、帰国10年(1)帰国直後の告白「日本に残りたい」
2012.10.14 09:50 (1/4ページ)[再び、拉致を追う]
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121014/kor12101409570004-n1.htm
 24年ぶりに実家の敷居をまたいだ。懐かしいにおい。海風が吹き付けることもあり、少し傷んでいるようにも見えるが、こんな感じだった。違うのは、母がいないことだ。あと半年早く帰れたら…。
 10年前の10月15日に「一時帰国」した拉致被害者、地村保志さん(57)は2日後の同17日、福井県小浜市の実家に戻った。深夜まで続いた帰国を祝う宴会の後、保志さんは家族の一人に声をかけた。
 「ちょっと飲もう」
 数時間、杯を傾けた。
 「日本政府が守ってくれるなら、日本に残りたい」
 家族にとって、その一言は驚きだった。保志さんら被害者5人は一時帰国という名目で帰国していたからだ。5人は北朝鮮に子供らを残してきた。人質を取られているに等しい。
 帰国翌日の同16日夜、5人と家族が宿泊していた東京都内のホテルの一室で、今後どうするかについて話し合いがもたれた際にも、5人は「北朝鮮に戻る」と言っていた。
 帰国からわずか3日目に被害者の一人が「日本に残る」と決断していたことは、これまでほとんど知られていない。保志さんの決断は、限られた関係者以外には秘匿された。
 帰国した5人には“監視役”が北朝鮮から同行してきていた。朝鮮赤十字会の職員2人だ。被害者が公然と、自分の意思を述べることは望めなかった。
 「このままでは本音を聞くことはできない。故郷に連れて行って、夫婦であっても一人一人にして、本音を聞き出すしかないと思った」。被害者や家族の支援組織「救う会」の西岡力会長は当時をそう振り返る。
 5人に日本にとどまる決意をさせるため、支援者や政府関係者の闘いが水面下で始まっていた。
■ ■ ■
 「必ず帰ってこい」。10年前の10月15日、当時暮らしていた平壌の高層アパートで、拉致被害者らは北朝鮮当局者から、そうくぎを刺され、日本へ向かった。
 拉致されて以降、24年もの歳月を北朝鮮で過ごした被害者らにとって、当局者の言葉は「絶対」だった。
 帰国翌日の同16日、被害者らは、北朝鮮側が「死亡」とした被害者の家族と面会した。食糧難や収容所での公開処刑など、北朝鮮にとって、都合の悪い話を聞かれると、そろって「全く知らない」と答えた。
 面会した家族の一人は被害者らの発言を「まるでテープレコーダーのようだ」と評したが、5人が置かれた状況を考えれば、無理もなかった。
  公の場では判を押したように同じ対応をする5人だったが、一人一人に分かれると、自由な意思も垣間見えた。あっけらかんとした様子で「東京観光に行きた い」と話す被害者もいた。その様子を見た支援組織「救う会」の西岡力会長は感じていた。「洗脳されている様子はない。本音では日本に残りたいと思っている のではないか」

■ ■ ■
 5人は故郷に戻り、それぞれの実家で過ごした。北朝鮮から“監視役”とし て同行してきた朝鮮赤十字会の職員は2人。5カ所を見張ることは難しい。だが、監視役は日本で携帯電話を入手していた。それを使って被害者の実家に電話で “圧力”をかければ、5人が自由意思を示す機会は奪われかねなかった。
 西岡会長は家族を通じて、被害者らに「絶対、電話に出ないように」と伝えた。被害者らには「マスコミからの取材の電話かもしれないから」と言って納得させてもらった。
 逆に、報道各社の記者には、朝鮮赤十字会の職員が宿泊しているホテルの所在地をそれとなく伝えた。取材攻勢で監視役の行動を制限させるのが目的だった。
 実家で被害者の本音を聞き出す家族も慎重に選ばれた。普段はマスコミの取材に応じていない家族にその役割が託された。何かのきっかけで、報道陣に秘密が漏れてしまえば、すべてが水泡に帰す。
 「日本にとどまる」という被害者の意思が公になれば、朝鮮赤十字会の職員が被害者に接触し、脅しをかける恐れもある。秘密の保持は被害者に対し、日本政府が「守る」という姿勢を示す意味で不可欠だった。

■ ■ ■
 故郷の温かさは、被害者らの心を和ませた。
 帰国3日目にして「日本にとどまりたい」と告白した地村保志さん(57)に続き、妻の富貴恵さん(57)も親族に「残りたい」と話した。曽我ひとみさん(53)も支援者に「残りたい」と吐露した。
 最後まで悩み、熟考を重ねていた蓮池薫さん(55)と妻、祐木子さん(56)も帰国10日目の10月24日午前、中山恭子内閣官房参与(当時)に電話し、「日本にとどまり、子供を待つ」と伝えた。
  政府内には北朝鮮との「約束」なので、5人をいったん北朝鮮に戻すべきだとの意見もあったが、「被害者の本音」はそんな無謀な論理を吹き飛ばした。政府は その日のうちに、5人を北朝鮮には戻さず、永住させる方針を表明。被害者の意思にかかわらず、あくまでも日本政府が決めたことを強調した。
 その年の12月19日、被害者5人は新潟市でそろって会見に臨んだ。帰国時に胸に付けていた金日成バッジは外されていた。その理由を聞かれると、5人は「自分の意思で」と強調した。
 北朝鮮の呪縛から解き放たれたことを象徴していた。

 永住をめぐる駆け引き、北朝鮮での暮らし、現在の生活…。拉致被害者5人の帰国10年を振り返る。