枝野代表が自民議員に痛い所を付かれてタジタジになる醜態を露呈 黙らせろ!と議長に再三要求
高山 貴男氏の「野次とヘイトスピーチは同根である」
http://agora-web.jp/archives/2044044.html
上記の記事が理解できない、所詮は浅学の輩である。
LGBT質問中に野次が飛び出し、野党議員は制裁を求めるが、
野次の主に対する結論は得られていない。
と言う野次が飛んだ。今回は意図的中傷と見て良いだろうか?
杉田水脈氏は、もりかけの総括が希望であろうか?
二年に及んだもりかけ問題の総括が政治主題と見て間違いは
無いだろう。当ブログは、もりかけも桜も特定もりかけ野党の惨敗と見ている。
辻元清美案件と言う闇に対する疑念が日本国民の不満を募らせている。
イラン騒動、新型2019-nCoV騒動 は、喫緊の国家的重要事態と
多くの日本国民が考える上で、メデイア報道も桜野党も日本国民の
民意を取り違えている。
警察官の排除が念頭にある提言と受け取っているが、
あっても、問題解決には至らないとの見識がある。
在日問題の解決は、日韓を待ち受ける課題である。
見られない。2019-nCoV騒動 に乗じて帰国を促す政治的活動は
見えない。
重要課題が居並ぶ上で、桜野党の政治活動は極めて異色の出来栄えである。
国家を制する喫緊の政治課題に如何に取り組むかと言う意志が感じ取れない。
重要なのは、日本国民の生命を守るという、政治家に課せられた使命の
忘却である。
昨年は日韓関係の基礎が築かれた年と認識している。
外交上の一大転換点が確固と成ったと考える。令和2年の重要課題は
日本の基礎を築くという点であろうか?
強固に築かれた戦後体制に軋みが出ている。
南朝鮮文在寅大統領の政治的活動は戦後体制に対する挑戦であると
外交関係筋は見込んでいる。サンフランシスコ講和条約の再締結が
文在寅大統領の真意であると見れば、その行動に理論付けが可能となる。
混沌の中から、重要な点を挙げれば、新型2019-nCoV騒動 に対処する事であろう。
やっと、桜野党が政府批判の正道に戻ったが、遅すぎるとの批判は
天に向かって唾を吐く結果しか得られないとの予想がきつ過ぎる。
イラン騒動は、日本自衛隊の海外派兵に警鐘を齎した。
国家存立に対する法整備が弱点である。民主主義が揺らいでいる。
政治的タブーは取り払うべきである。
2020年02月01日14:32
枝野代表が自民議員に痛い所を付かれてタジタジになる醜態を露呈 黙らせろ!と議長に再三要求
http://japannews01.blog.jp/archives/50532042.html
1:マレーヤマネコ(神奈川県) [US]:2020/01/30(木) 02:31:38.86 id:x0pRAR+v0 BE:295723299-2BP(2000)
ⓚⓐⓦⓐⓘⓘ3N⊿ (NHKと契約しない私が一言^^) @kawaii3n
杉田水脈 隣の野田中央公園はどうなんだ!
枝野幸男が激しく動揺!演説が止まる
杉田 説明してください!
枝野が議長に「黙らせていただけますか?」3回
議長 どうぞ、続けてください
枝野 ミズタくん、黙っていていただけますか!
(名前を間違える)
引用 https://www.youtube.com/watch?v=6F6qg2cv4Sc …
2,361
4:54 - 2020年1月29日
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��ⓚⓐⓦⓐⓘⓘ3N⊿����(NHKと契約しない私が一言^^)��
@kawaii3n
杉田水脈 隣の野田中央公園はどうなんだ!
枝野幸男が激しく動揺!演説が止まる
杉田 説明してください!
枝野が議長に「黙らせていただけますか?」3回
議長 どうぞ、続けてください
枝野 ミズタくん、黙っていていただけますか!
(名前を間違える)
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1222246510672236544/pu/vid/640x360/P2Lk6xUeUm8JC_nL.mp4
野次とヘイトスピーチは同根である
2020年01月30日 06:00
http://agora-web.jp/archives/2044044.html
「合いの手」「声援」との混同
国会審議や選挙演説における野次を巡っては「議場の華」とか「つきもの」といった具合で、言うなれば「許される野次」として肯定的に評価されることが多い。
その具体例も少なからず挙げられ、例えば高橋大輔氏によると戦前、大蔵大臣の高橋是清が海軍拡張費の説明の際に「海軍においては8年」との発言に対して三木武吉(「保守合同」の立役者)が「達磨は9年」と叫んだとされている(参照:杉田水脈議員に学んで欲しい「ヤジ将軍」の言葉(アゴラ:高橋大輔氏)。
この逸話は大変おもしろく勉強にもなり高橋氏の知識量には感服するばかりだが、そうだとしても、これは野次なのだろうか。これは野次ではなく「合いの手」ではないだろうか。
読者の方々も思い返してほしい。球場やコンサート会場で「場を盛り上げる大声」を野次と言うだろうか。やはり「合いの手」とか「声援」と呼ぶのが普通ではないか。
「許される野次」とはこの「合いの手」「声援」との混同である。
あくまで野次とは「合いの手」「声援」に該当しない「場を荒らす」「発言者を攻撃する」表現であり、およそ肯定に値しないものである。だから「許される野次」などあるはずがない。
野次とヘイトスピーチは同根である
それでも「許される野次」はあると言う方もいるかもしれない。
百歩譲ってそうだとしても今の時代、これは通用しない。今はSNSの発達により「類は友を呼ぶ」現象が盛んであり、特定個人・施設を標的に「動員」をかけられる時代である。「許される野次」を認めると演説・集会の妨害が行われる可能性がある、というよりも既にそれは起きている。都知事・国政選挙における安倍首相への演説妨害や一部文化人の講演会開催の妨害である。前者は文字通り野次による妨害であり、後者は野次への警戒が中止判断に含まれていたと思われる。
何よりも今、野次を始めとした「他人を攻撃する表現」が日本社会の重大なテーマとなっている。
その代表例がヘイトスピーチである。ヘイトスピーチは人種などの特定属性への攻撃表現だが、野次もヘイトスピーチも「他人を攻撃する表現」に他ならないからこの二つは同根であり、その差はあってないようなものである。野次とヘイトスピーチは別物と思う者はどれほどいるだろうか。例えば政治的無関心層の中でこの2つを区別できる者はいるだろうか。ほとんどいないのではないか。
もちろん落ち着いた口調でヘイトスピーチを行う者もいるかもしれないが、ヘイトスピーチ対策でよく引き合いに出される在特会・日本第一党関係者の行動では野次が普通である。彼(女)らの行動に野次が含まれないということはあり得ない。
常識的に考えて野次とヘイトスピーチは相当程度、重なる部分があり、およそヘイトスピーチ対策を語るにあたって野次は避けて通れない。
だからヘイトスピーチに関心がある者は同時に野次にも関心があるはずで、ヘイトスピーチの「規制」を主張する者は野次の規制も主張するはずである。
ところが管見の限りヘイトスピーチ規制論者の多くが野次の規制を主張するどころか野次を積極的に肯定している始末である。そしてその代表格は朝日新聞である。
朝日新聞は先の参議院選挙における安倍首相への野次を肯定し、あまつさえそれが民主主義の一態様のごとく評価した。このことは以前、記した(参照拙稿:朝日の報道は公職選挙法第148条違反か?)。
朝日新聞は野次を積極的に肯定し、未だに「こんな人たち」という言葉を「抑圧された市民」のごとく使用する。愚かとしか言いようがない。
しかも最近、一部憲法学者までが「政治批判としてヤジを含めたある程度荒っぽい表現方法が認められるべきである」と野次を肯定したり(参照:、現代ビジネス:阪口正二郎氏)
市民による野次を肯定するデモすら行われた(参照:毎日新聞)。
自分が支持する主義・主張のためならば他人を攻撃する表現を認める思考は「自由社会への挑戦」と評価しても決して言い過ぎであるまい。
野次と対峙すべきである
今、我々に求められることは「野次とヘイトスピーチは同根」との観点に立ち野次によって自由社会が破壊されないよう議院規則や公職選挙法を一部改正することである。
そして野次を肯定する者が所属する業界、具体的に言えばマスコミ・大学業界に過剰な優遇措置がないか検証することである。「野次の肯定」は自由社会におけるマスコミ人・大学人に期待された役割に著しく反するものだから積極的に検証すべきである。
本来、話題にすることすら憚れる今国会での「珍事」で導き出された結論は以上のとおりだが、どうだろうか。