「特別永住制度」は見直すべき時期に来ている

 

 

「特別永住制度」は見直すべき時期に来ている

法改正による「新たな付与」は必要なのか

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安積 明子 :ジャーナリスト

20161128

http://toyokeizai.net/articles/-/147033

 

「特別永住制度」は未来永劫残る制度ではないだろう。未来志向で、この問題を真剣に考え直すべき時期かもしれない(写真:iroha/PIXTA

昭和が終わって30年近く経とうというのに、いまだ「戦後」を引きずっている問題がある。そのひとつが、"ヘイトスピーチ"によってすっかり有名になってしまった「特別永住制度」である。

117日に自民党本部で開かれた法務部会で、「平和条約国籍離脱者等地位喪失者に係る日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特別法の特例に関する法律案」についての審査が行われた。実にややこしい日本語だが、これが法案名だ。詳細は後述するが、特別永住制度の網から漏れていた二十数名の韓国人に特別永住権を与えるための法案だ。

同法案は日韓議連のメンバーを中心に各党で審議され、超党派による議員立法として提出されることになっている。すでに公明党は党内手続きを完了し、他党の出方を待つばかりだ。日本維新の会政策調査会で了承し、国対で審議する予定だ。

しかし117日の自民党法務部会では、賛成意見もあったが反対意見も強く、意見がまとまらず持ち越しとなったという。

いったい何が起きているのか。その詳細を説明する前に、そもそも「特別永住制度」とは何なのかを振り返っておこう。

特別永住制度は、なぜ生まれたのか

「特別永住」の名称自体は1991年に創設されたが、その内容は主に戦前戦後の日本と朝鮮半島・台湾の歴史と重なる。

まずは194592日の降伏文書調印以前から日本に居住し、1952428日のサンフランシスコ平和条約発効に伴い日本国籍を離脱した朝鮮半島及び台湾出身者とその子どもに、期限の定めのない在留と活動の自由が認められた。つまり戦前に日本人であったという「歴史的経緯」と、引き続き日本に住んでいるという「定住性」で認められた権利といえる。

しかし19524月以降に生まれた彼らの子どもたちが日本に在留するためには、出生後30日以内に在留申請しなくてはならず、在留期間は3年のため更新をし続ける必要があった。

そこで1965年の日韓地位協定により、韓国籍を保有する平和条約国籍離脱者及び協定発効5年までに日本で生まれた直系卑属に一般永住権とは別の永住権が与えられた。また協定発効5年以降に日本で生まれた子どもも、出生後60日以内に申請することにより永住権を得ることになったのだ(協定永住)。

だが協定永住が認められたのは韓国国籍保有者にのみで、北朝鮮籍保有者には認められなかった。また協定発効後5年以降に生まれた平和条約国籍離脱者の孫以降の直系卑属には認められないという問題もあった。そこで1982年から5年間に申請されたものに限り、無条件で永住が許可されることになる(特例永住)。

そして1991年、「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」が作られ、これらが統一されて「特別永住制度」が創設された。特別永住者は出身国を問わず、また平和条約国籍離脱者直系卑属ならば生まれた時期を問わず得ることができるようになったのだ。

特別永住者と一般永住者の差は?

では特別永住者は、一般永住者とどのような違いがあるのだろうか。

在留資格と再入国可能期間とみなし期間の年数、再入国時の上陸拒否の可否と強制退去の要件、上陸審査における個人識別情報の提供義務の有無、在留カードなどの身分証明書の常時携帯義務の有無などで両者は異なる。

たとえば特別永住者は、一般永住者の永住許可要件である「素行善良」、「独立生計」は不要とされる。強制退去となる犯罪も、内乱罪外患誘致罪など国益を著しく棄損する行為に限定され、無期または7年超の懲役・禁固を受けた場合も強制退去となりうるのが日本の重大な利益を害する場合に限られる。

だが、平和条約国籍離脱者又はその子孫に相当する地位にあったにもかかわらず、諸般の事情で特別永住権を取得できなかった事例が存在する。たとえば入管特例法の施行前に日本から朝鮮半島渡航し、東西冷戦の影響で政治犯として拘束され、再入国期間を徒過したケースだ。冒頭にも記したように現在では二十数名の該当者がおり、「平和条約国籍離脱者」に該当しないため、特別永住権を付与されていない。

彼らに特別永住を認めるかどうかについて、これまでも国会で取り上げられたことがある。民主党(現・民進党)政権下の2011612日の衆院予算委員会で、滝実法務大臣は「韓国におけるいわば留学生が政治的な問題として日本に帰ってこられなくなった、したがって当然再入国期限を過ぎているわけだから、こうした人たちについてはもとのような特別永住者として扱うわけにはいかない、これはもう原則だ」と否定した。

しかし最近になって、彼らの特別永住を認めるべく、再入国期間を過ぎても再上陸まで引き続き日本に在留していたとみなすとする法律をつくる動きが始まった。冒頭で述べたわかりにくい法案名「平和条約国籍離脱者等地位喪失者に係る日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特別法の特例に関する法律案」を巡る各党の動きがそれだ。

確かに人道上の配慮として、法の保護から漏れた二十数名の救済は必要だろう。しかし、そもそも「特別永住制度」自体がこれからも存続すべきものかどうか、再考する時期に来ているのではないか。

在日韓国人朝鮮人差別の一因に

特別永住制度については、橋下徹大阪市長2014年に廃止の検討を提唱したことがある。この制度が在日韓国人朝鮮人差別の一因になっているというのがその理由とされている。

すでに述べたように、「特別永住権」は一般永住権よりも保護が手厚いように見える。しかし実際の生活について、果たして「優遇」されているといえるのか。確かに一般永住者は懲役1年に処せられると強制退去の対象だが、特別永住者はそれがない。だが普通の生活をしていて、それは「恩恵」といえるのだろうか。

しかも、特別永住権の廃止を訴える反対派が「特別永住権者のみが社会保障の対象となっている。これは"在日特権"だ」と主張しているケースがあるが、それは事実ではない。外国人に生活保障を認める195458日に出された旧厚生省社会局長通達(「生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について」)は、一般外国人に広く及んでいる。

そもそも日本に居住するうえでの「恩恵」を考慮するなら、最善策は帰化することである。日本の法制度は生来の日本人と帰化による日本人を区別せず、参政権も等しく与えている。

政府は戦後の一時期、日本に在留する朝鮮半島出身者に国籍を選択させる制度とすることも検討していたようだ。たとえば19491221日の衆院外務委員会で、「台湾人や朝鮮人等の日本にいる者の国籍はどうなるのか」との佐々木盛雄委員の質問に対し、政府委員の川村松助外務政務次官が「講和条約が決定しなければ決まらないが、めいめいの希望に沿うだろうと思う」と答弁したことがある。

海外諸外国を見ると、在留者に国籍を選択させている例も多い。

旧西ドイツでは1956年に国籍問題規制法を改正。19383月の併合によりオーストリア人に付与されたドイツ国籍はオーストリアの独立によって消滅するとともに、西ドイツ在住のオーストリア人には国籍選択の権利を認めた。

1962年、フランスの植民地だったアルジェリアが独立した際には、在アルジェリアのフランス人、在フランスのアルジェリア人の双方に国籍選択の自由が認められている。

だが日本においては国籍選択を制度化することはなかった。「民族のアイデンティティを尊重したもの」であり選択の必要はないと見なされてきたのである。

実際にこのたびの二十数名を対象とする法改正でも、「当事者の民族アイデンティティを尊重する」ことが趣旨のひとつである。しかしそのアイデンティティは、国籍選択を許さないほど強いものなのだろうか。

まず現実を見ておこう。特別永住者の数は近年、継続的な減少が続いている。2000年以降を見ても、2000年には512269人、2001年には50782人、2002年には489900人、2003年は475952人、2004年には465619人と減り続け、直近の2015年末では348626名まで落ち込んでいる。

さらにその構成を見ると、2015年末には80歳以上は24001名(男子7861名、女子16140名)と多いものの、年齢が下がるにつれて減少し、0歳となるとわずか809名(男子429名、女子380名)。若い層での”特別永住権離れ"が目立っている。

韓国政府が特別永住者を冷遇する例も

特別永住権を持つ韓国人にとって頭が痛い問題は、韓国政府から冷遇されているという事実だ。韓国人と結婚して韓国に住む特別永住者が韓国政府から子どもの保育料支援を受けることができず、韓国政府を訴えたという事例を20151117日付けの聯合ニュースが報じている。

保育料支援は難民にも外国人にも支給されるのだが、韓国政府が定めた「支援対象選定基準」には「在外国民として住民番号の発給を受けた者」を除外する規定が存在し、これに該当するのが特別永住者なのである。

時代とともに人々の意識は変わり、利害のありようも変わっていく。いつまでも特別永住制度を残すことを前提とした議論を見直す時期に来ていることは間違いない。